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明日香村の石造物を巡ってきました! 天武・持統天皇陵~鬼の俎・雪隠~猿石編

明日香村/猿石(山王権現)_tmb

明日香村の石造物を巡ってきました!

明日香村に点在している亀石や猿石、酒船石などの石造物を巡るシリーズです。
第二回は叔父と姪の夫婦が眠る天武・持統天皇陵、見た目で変な名前をつけられた鬼の俎・雪隠、江戸時代には鬼石と呼ばれていた猿石を見学します。

撮影日:2020年07月02日(木)

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トイレにされた悲運の石造物

天武・持統天皇陵

明日香村/天武・持統天皇陵(横)

県道209号の歩道脇の休憩所から眺めた天武てんむ持統天皇陵じとうてんのうりょうです。
午前中は照ったり陰ったりだったのですが、お昼になってすっかり晴れてしまいましたw

明日香村/天武・持統天皇陵(ロング)

天武・持統天皇陵は天武天皇とその皇后の持統天皇の合葬陵です。
陵名は檜隈大内陵ひのくまのおおうちのみささぎ、遺跡名は野口王墓古墳のぐちおうぼこふんです。
亀石から歩いて7分ほどのところです。

明日香村/天武・持統天皇陵の説明板
※強めに補正しています

説明板からの引用です。

壬申の乱(672年)に勝利し、律令制の基礎を築いた天武天皇と、その皇后で次に即位し、天皇としてはじめて火葬された、持統天皇が合葬されている御陵(檜隈大内陵)である。墳丘は現在東西約58m、南北径45m、高さ約9mの円墳状をなしている。
明日香村/天武・持統天皇陵

天皇陵とされる古墳のなかで考古学的に被葬者が確実とされているのはこちらの野口王墓古墳と、天智天皇陵に治定されている御廟野古墳ごびょうのこふんだけといわれています。

明日香村/天武・持統天皇陵(左)

小高い丘の上なので静かで風がとても気持ちいいです。
御陵を囲むように遊歩道があり、墳丘の周りをぐるりと歩くことができます。

明日香村/天武・持統天皇陵の石標

橿原市の丸山古墳が天武・持統天皇陵に治定された時期もありますが、文暦2年(1235年)の盗掘を記録した『阿不幾乃山陵記あおきのさんりょうき』が京都市右京区にある高山寺で発見されたことにより、翌年の1881年(明治14年)には野口王墓古墳が再び天武・持統天皇陵に治定されました。

明日香村/天武・持統天皇陵からの眺め

天武・持統天皇陵から南西方向の眺めです。
正面は高松塚古墳や中尾山古墳がある飛鳥歴史公園の高松塚周辺地区です。

鬼の俎・雪隠

明日香村/鬼の雪隠(ロング)

天武・持統天皇陵の西、亀石と猿石の中間あたりにある鬼の雪隠せっちんです。
天武・持統天皇陵から歩いて3分ほどのところです。

明日香村/鬼の雪隠

この近くの少し高い場所にある鬼の俎・雪隠古墳の石槨の蓋にあたる部分です。
転がり落ちてきてこのようなひっくり返った格好になったと考えられています。

明日香村/鬼の雪隠(右)

説明板からの引用です。

鬼の雪隠は墳丘土を失った終末期古墳(7世紀後半・飛鳥時代)の石室の一部である。本来は花崗岩の巨石を精巧に加工した底石・蓋石・扉石の3個の石を組み合わせたもので、鬼の雪隠はその蓋石にあたり、上方にある鬼の俎(底石)から横転してきた状態にある。この周辺は霧ヶ峰と呼ばれ、鬼が住み、通行人に霧を降らせ迷ったところをとらえて、俎の上で料理し、雪隠で用を足したという伝説がある。
明日香村/鬼の雪隠(横)

巨大な石造物をわざわざこのような柵で囲む必要があるのか疑問です。
それと石畳の通路のようなものはなにか意味があるのでしょうか。

明日香村/鬼の俎(ロング)

鬼の雪隠のすぐ近くの石段を登った竹林のなかにある鬼のまないたです。
亀石方面からだと鬼の俎のほうが鬼の雪隠よりも手前にあります。

明日香村/鬼の俎

鬼の俎・雪隠古墳の石槨の底にあたる部分です。
欽明天皇陵の陪塚ばいちょうに治定され、鬼の雪隠とともに宮内庁によって管理されています。
説明板の内容は鬼の雪隠のものとほとんど同じでした。

明日香村/鬼の俎(右)

この床石の東隣から同じ形状の板石が出土しましたが、当時の土地所有者によって破壊されて庭石となり、現在は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の建物脇に展示されています。

明日香村/鬼の俎(左)

竹漏れ日で明暗差ができてわかりにくい写真になってしまいました。
写真では見えないですが、鬼の俎にも破壊するために打ち込まれたクサビの跡が残っています。
作業の途中で宮内庁から中止するように指示があり、間一髪で破壊をまぬかれたそうです。

明日香村/万葉歌碑(1109)

猿石へ行く途中の休憩園地に建つ犬養孝いぬかいたかし揮毫の万葉歌碑です。
「檜隈川の流れが速いからとあなたの手にすがったら、噂を立てられてしまうかしら」というような意味で、少女マンガっぽい感じですが個人的には好きですw

佐檜さひくま 隈川くまがはの 瀬を早み
君が手取らば こと寄せむかも作者不詳『万葉集』巻7-1109
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檻に囚われたサルの石造物

猿石

明日香村/吉備姫王墓

飛鳥駅の北東にある吉備姫王墓きびひめのみこのはかです。
墓名は檜隈墓ひのくまのはかで、こちらの墓域内に猿石があります。
鬼の俎・雪隠から歩いて6分ほどのところです。

明日香村/吉備姫王墓拝所

猿石は正面の石柵のすぐ向こう側、鉄扉の左右に2体ずつ配置されています。
離れたところからだと檻に入れられたゴリラのようにも見えますw

明日香村/猿石(僧)

サルを思わせる顔から猿石と呼ばれ、それぞれの特徴から名前がつけられています。
向かって右側には左に「僧(法師)」、右に「男」の猿石が置かれています。
こちらも木漏れ日で明暗差ができてわかりにくい写真になってしまいました。

明日香村/猿石(男)

猿石には説明板がなかったですが、吉備姫王墓のものに少しだけ記述がありました。
説明板からの引用です。

墓名を檜隈墓と称する。孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母にあたり、『日本書紀』によれば吉備姫王(吉備嶋皇祖母命きびしまのすめみおやのみこと)は皇極天皇2年9月になくなり檀弓岡まゆみおかに葬られたとある。
…(中略)…
墓域内には江戸時代に欽明天皇陵の南側の字イケダの水田から掘り出された石造物4体があり、猿石と称されている。
明日香村/猿石(山王権現)

向かって左側には右に「山王権現さんのうごんげん」、左に「女」の猿石が置かれています。
墓域内には立ち入れないので、鉄扉や石柵の隙間から写真を撮ることになります。
フルサイズ対応のレンズだとフードを外してギリギリでしたw

明日香村/猿石(女)

四体の猿石のうち「僧(法師)」以外の3体は背面にも顔が彫刻された二面石ですが、残念ながら背面側を見ることはできません。
背面側を観察したい人には飛鳥資料館のレプリカがおすすめです。

明日香村/欽明天皇陵(横)

吉備姫王墓に隣接する欽明天皇陵きんめいてんのうりょうです。
陵名は檜隈坂合陵ひのくまのさかあいのみささぎ、遺跡名は梅山古墳うめやまこふんです。
水をたたえた周濠を持つ前方後円墳ですが、現在の姿は江戸時代末期に行われた「文久の修陵」によって大きく改造されたものだそうです。
橿原市の丸山古墳を欽明天皇の真陵とする説もあります。

明日香村/欽明天皇陵

説明板からの引用です。

陵名は檜隈阪合陵。全長約140m、後円部径72m、前方部107mで、墳丘は3段築成で周濠を持ち、明日香村内では唯一の前方後円墳である。

あとがき

明暗差でわかりにくい写真になった猿石と鬼の俎はまた撮影に行きたいです。
猿石は宮内庁の所有だと思いますが、飛鳥資料館のような場所で展示してほしいです。

飛鳥散策のガイドブックに
飛鳥への招待
飛鳥学冠位叙任試験問題作成委員会(著)、今尾文昭(編)
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アクセス情報

■ 天武・持統天皇陵 (てんむ・じとうてんのうりょう)

サイト
所在地 奈良県高市郡明日香村野口
電話
入場料 無料
開場時間 24時間
休場日 なし
駐車場 無料駐車場あり 約5台
トイレ なし
文化財
最寄駅 近鉄吉野線「飛鳥」駅より徒歩15分(1.2km)
バスは飛鳥駅より「天武・持統陵」で降車して徒歩4分

■ 鬼の俎・雪隠 (おにのまないた・せっちん)

サイト
所在地 奈良県高市郡明日香村野口
電話
入場料 無料
開場時間 24時間
休場日 なし
駐車場 なし
トイレ なし
文化財
最寄駅 近鉄吉野線「飛鳥」駅より徒歩13分(950m)
バスは飛鳥駅より「天武・持統陵」で降車して徒歩8分

■ 猿石 (さるいし)

サイト
所在地 奈良県高市郡明日香村平田
電話
入場料 無料
開場時間 24時間
休場日 なし
駐車場 無料駐車場あり 約10台
トイレ なし
文化財
最寄駅 近鉄吉野線「飛鳥」駅より徒歩6分(500m)
バスは橿原神宮前駅より「飛鳥駅」で降車して徒歩4分

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